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ヒトラー

ワイマール時代の後、ドイツの政権を握る。総統独裁者の代名詞。オーストリア併合において、もともとドイツ人の多いこの地でヒトラーは歓迎される。イギリスフランスはヒトラーの予想通りこれを無視。自信を深めたヒトラーは続けてチェコスロバキア併合を目指す。しかし、チェコスロバキアはフランスと同盟関係にあり、イギリスフランスの猛烈な抗議を受ける。だが、ヒトラーはひるまずドイツ人の多いチェコスロバキアのズデーテン地方における民族自決権を主張、ひいてはドイツ併合を目指す。 ヒトラーの強硬姿勢にイギリスも臨戦態勢に入るが、これ以上の領地拡充を望まないことを条件に、ムッソリーニの仲介でイギリスが歩み寄りミュンヘン協定を締結。しかし、ヒトラーはすぐにこれを反故にし、ポーランド侵攻へ。--sumim

Uploaded Image: 169.JPG



ヒトラーは画家志望で、いわゆる伝統的写実主義であった。しかし、当時はキュビズム華やかなりし時で、当時のドイツの美術大学はキュビズムを志す若者しか受け入れなかったため、ヒトラーはついに美術大学に入学する事はなかった。当時のドイツではキュビズムの画家の大半がユダヤ人であった事が、ヒトラーがユダヤ人を毛嫌いした理由の一つではないかという研究者もいる。
その一方で、彼は隠れた絵画コレクターとしても知られ、その中には彼が毛嫌いしたユダヤ人画家による絵画も多く含まれていたという。--CUE


歌って踊れる独裁者。--spiral


それにしても、奴の存在を考えると、「正義(だと世間に見なされること)って何なんだろう?」と少し悩んでしまう。
奴みたいなのが実際に他民族虐殺をやってのけるまで、
他民族排斥カコワルイという発想は「無かった」のだろうか?と。

まあ人類史には植民地なんてものも有ったくらいだから、正義の(世間的)定義自体は
常にフラフラ頼りなく変化し続けているのだろうな。

それってなんか寂しいな。人間という存在がさ。 --


彼の命令で後のフォルクスワーゲン社によって大衆のための"国民車"の開発が進められた。実際に生産が始まったのは戦後だが、私のドイツ人の先生は VW と聞くと根っこにはヒトラーがいたことを思い出してしまうと言っていた。私にとっては、、大して関係ない。フォルクスワーゲンの展示会(?)に行きあったとき、このことについてよっぽど聞いてみようかと思ったけど、やめた。社員の人にとってもあまり関係ないのだろう、と思う。

でも、その他の彼の所業については特に今、関係ないではすまされないだろうな。--pron


そうそう。ドイツにいらしていたんですよね。私もほんの一ヶ月ほどでしたが、ドルトムントに滞在したことがあります。ちなみに愛車はその VW ゴルフです(^_^;)。--sumim


私はシュトゥトガルトとマインツのあたりをふらふらしてきました。ポルシェとメルセデスのミュージアムにも行ってきました。それまで自動車には大して興味はなかったんですが、今は smart にぞっこんです。

上の事実はたぶん VW のオーナーさんにとっても へぇ 以上のもんではないでしょうね。今さらどうこう言ってもしょうがないし、私には ふーん くらいの話です。

(ページの内容が長くなったら転送量をおさえるために「書き込み」ボタンをつけた方がよいのですかね)--pron


いや。転送量のことはあまり考えていません。>書き込みボタン Swiki 一般には、ページ編集に慣れていない人のため、あるいは、(ここでは原則禁止していますが)ロックされたページでも書き込めるようにするために使われますね。私が好んでこれを使うのは、色をつける機能追加がほどこしてあって、それを簡単に利用したいという実に利己的な理由からです(^_^;)。--sumim


今「利己的な遺伝子」を読んでいるのですが、たとえれば彼はドイツ内では非常にうまく生き延びることができるが、外に出たら全然だめな遺伝子である...--pron

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